花追い人のホームページ   淡路・阪神 −大震災の傷跡地を行く−
(2003. 9. 8)

1.淡路島探索

1995年1月17日(火)、午前5時46分。
気象庁の命名では、1995年兵庫県南部地震、一般には淡路阪神大震災が発生した。
この時震度7という信じられないような揺れを記録したのは、神戸市須磨区鷹取・長田区大橋・兵庫区大開・中央区三宮・灘区六甲道・東灘区住吉、芦屋市芦屋駅付近、西宮市夙川等、宝塚市の一部、淡路島北部の北淡町、一宮町、津名町の一部であった。
但し、この揺れは地震計では測定不可能で、後日気象庁が地震機動観測班を派遣し現地調査を実施した結果であった。

あれから8年あまり。
今回、我々が旅行した地域はこの大震災の起こった地域と大きく重なっている。
しかし、この旅行の目的は大震災の傷跡を見るためでも、復旧の様子を見るためでもない。
単なる「夏休みの家族旅行」の目的地が大震災の被災地と重なったというだけのことだ。
事実、旅行中に大震災の傷跡を見ることは無い。
しかし、この地域に深い傷跡を残しているということを感じずにはいられなかった場面もある。

ところで、「夏休みの家族旅行」については、過去、
「能登半島フォト紀行」(2000.7.5〜7)
「利尻・礼文 最北の花紀行」(2001.7.19〜24)
「九州紀行−神々の住む郷」(2002.6.27〜30)
をアップしている。
これらといわばシリーズになっていますので、合わせてお楽しみ下さい。



[7月 5日(土)](その1)

北淡町震災記念公園

北淡町震災記念公園 高速道路が落下して転倒したトラック
北淡町震災記念公園 高速道路が落下して転倒したトラック

あの日を忘れない、あの日から学びたい。
野島断層保存。
ということで、新幹線新神戸駅からレンタカーを借りて淡路島に渡った。
最初の訪問地が北淡町震災記念公園だ。
あの震災報道で最も衝撃的な画面の一つが高速道路の決壊。
そのトラックは模型展示だが、実際に発生した断層が保存されている。



活断層により引き裂かれた塀 大震災を再現した室内
活断層により引き裂かれた塀 大震災を再現した室内

ただ塀が引き裂かれているだけ。
展示物としては地味なものだが、それだけに地面が引き裂かれたという恐怖を言葉少なく語っている。
そう、これは再現模型ではなく本物なのだ。
右の写真は実際に被災した家を買い上げてそのまま保存したもの。
柱や梁がゆがんだ状態のまま保存されている。
雑然とした室内はもちろん再現だが、地震発生時のまま止まった時計など本物にしか語れないリアリティがある。



2メートル地面が引き裂かれた
2メートル地面が引き裂かれた

ただ単に、たった1.2メートルの地盤の横ずれ。
だが、しかし、距離にすれば延々と何キロもの地盤が1.2メートルも引き裂かれる。
自然のエネルギーの巨大さ、恐ろしさがひしひしと伝わってくる。
詳しくは、「北淡町震災記念公園」の公式ホームページへ。




伊弉諾(いざなぎ)神宮(1)

伊弉諾神宮 釘隠し 伊弉諾神宮 宮内
伊弉諾神宮 釘隠し 伊弉諾神宮 宮内



伊弉諾神宮
伊弉諾神宮

次の目的地は伊弉諾(いざなぎ)神宮。
初めての淡路島で土地鑑はなくやみくもに車を走らせるがどうも道がよく分からない。
ここいらかなという当たりに神社らしいものがあったから下車してみた。
伊弉諾神宮。
OKこれだ、と思いつつも歴史ある大神宮の筈が小さい上にやたらに真新しい。
白木が匂ってくるようなのだ。
まあ、いい。先の大震災後に立て替えられたのだろうか。



石 石

ところで、この神社、石を大切に飾っている。
由来は分からないが、もしかしたらご本尊的に大事にされているのかも知れない。
検索エンジンからお越しの方は ここ をクリックしてください。

本サイトに掲載の、写真・文章の著作権は、本サイト主宰者にあります。無断転載/無断使用はお断りします。
LINKを張る場合は、TOPページ へ。 また、E−mail 等による連絡をお願いします。
© 2003 Copyright T. Matsumot
o