第8章 バロンダンス(3)

会場から見える牛(バロンダンス)
[写真1]:会場から見える牛(バロンダンス)

第6章、第7章とパンフレットからの引用で手抜きの紀行文との非難の声が高まっているところである。

バロンダンスの会場は一応天井はあるものの壁は一部だけで、ほとんどの部分は手すりだけ。
会場の隣には広大な農地が広がっていたりする。
観客席からそのまま目を転じれば芝生が広がったところに牛が草を食むのどかな風景が展開している。
小さなゲージに入れられて濃厚飼料を食べさせられている日本の牛に比べて
一頭のための広大な面積の草地で草を食む牛はなんと健康的なんだろう。

悪役たち(バロンダンス)
[写真2]:悪役たち(バロンダンス)

それにしても、まったく予備知識が無い段階でのバリ島のイメージはまさにバロンダンスのイメージそのものだ。
極彩色で目玉の飛び出した、獅子舞のようなバロン。
褐色の肌に目の周りを強調したメイキャップ。
カーストを思わせる額の飾り。
プルメリアとハイビクカスの冠をつけて正装した女性の手首の先をくねくねさせる独特の踊り。
どれをとってもインドネシア、バリ島のイメージそのままだし、
バロンダンス以外の知識を何も持たない段階ではそれはバリ島のイメージそのものになってしまっている。

悪役ランダ(バロンダンス)
[写真3]:悪役ランダ(バロンダンス)

バロンダンスはバリ島の伝統芸能であることは間違いないけれど、
たった3日の滞在でたった1ステージのバロンダンスを見ただけで印象を言わせてもらえば、
バロンダンスは後に出てくるケチャック等と比べると印象が高くない。
伝統芸能といっても古典の伝統を踏まえつつも次々に新作が作られるような伝統芸能もあり、
一方では継承だけで創造活動であることをやめてしまった伝統芸能もある。
女(バロンダンス)
[写真4]:女(バロンダンス)

今回見た限りにおいては、バロンダンスは日本からの観光客から幾ばくかの報酬を得ることを目的としただけのものとしか見えてこなかった。
民族衣装などに異国情緒は感じられるもののなぜか感動が希薄である。
これだけでインドネシア、バリ島のイメージを固定させてしまった不明を大いに恥じるところだ。

しかしながら、解説にあるような「善悪両者とも決着のつかないまま生き残る」という思想は、
昔から日本に流れている伝統的な考え方と合い通じるものがあり、
そのことが我々に「来し方」を感じさせるひとつの原因になっているのではないか。

女(バロンダンス)
[写真5]:女(バロンダンス)

本格的な宗教論を展開させるだけの資格も予備知識も無いが、
絶対的な神の意思の存在を信じる宗教に比べて、
どこにでも神は存在するという原始宗教の流れを汲むバリ島の宗教は、
日本の伝統的な神道と通じるものがあるのではないか。

司会の女性(バロンダンス)
[写真6]:司会の女性(バロンダンス)
清濁併せ呑むといえば聞こえはいいが、
要するにいい加減なのである。
海外の文化を抵抗無く受け入れる柔軟性もこのあたりから来ているのかも知れない。
しかしそれでいて受け入れた海外の文化をいつの間にか自分たちのものとして消化してしまう柔軟性も内在している。

※追伸:
ご指摘をいただいてバロンダンス(1)の写真キャプションを訂正させていただきました。
YUKOさんありがとうございました。
その後、植物名が判明したものがありましたので、バリ植物図鑑1の説明(2箇所)を差し替えております。

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