6.佐渡能楽の里
2004年 8月11日(水) (その6)
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階段横の松(佐渡能楽の里) |
日本中で一番たくさん能舞台のあるところは佐渡島だという
猿楽から能楽を作った観阿弥・世阿弥という天才親子の活躍した室町・南北朝時代の文化の中心地である京都ではなく佐渡島に全国の大半の能舞台が存在するのだ
世阿弥が佐渡に流刑になったのは71歳の時、それから80歳まで在島した
室町時代の71歳から80歳というのはどんなに高齢者だったろう
そんな都の文化の香りのする年寄りを、佐渡島のひとたちは大切にした
彼から引き継いだ文化を今でも大切にしている
そして、全国の他のどこよりも佐渡島では能楽という文化が今も脈々と生きている
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2階食堂からの眺め(佐渡能楽の里) |
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2階食堂からの眺め(佐渡能楽の里) |
佐渡能楽の里の2階食堂からは、県内で最大の湖である加茂湖の眺望が素晴らしい
かつては淡水湖であったが、明治37年(1904年)に舟運のため両津港との水路が完成して塩水湖となった
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看板(佐渡能楽の里) |
という訳で、佐渡能楽館へ入館する
1階には能舞台があるため、上映されている間は入館を待たされる
そのあいだに簡単な説明を聞くこともできる
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エントランスのディスプレイ(佐渡能楽の里) |
実際の能面ではなく、巨大なディスプレイだ
能の曲目のなかでも特別に神聖視された「翁(おきな)」という演目がある
翁面は、昔神が老人の姿で舞った姿を現している、翁面自体をご神体とした神社があるほどだ
普通の能面にはない特異な形で、上下にわかれた口をひもでつなぎ、まゆは丸い形をした白い房で飾られている。
「翁」で狂言方が使う。
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エントランスのディスプレイ(佐渡能楽の里) |
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エントランスのディスプレイ(佐渡能楽の里) |
「猩々」と演目の元になっているのは、「猩々」という中国の伝説上の動物で、赤い顔をして酒を好むという
この独特の赤(猩々緋といいます)の頭髪を振り回すという絢爛豪華な能で祝言能などに用いられます
右の写真は能舞台への扉のところに飾られていた能面、増髪(ますかみ)と増女(ぞうおんな)
少し下を向くと憂いに満ちた表情となるなど見る角度によって表情が変わるのも能面の特徴である