24.佐渡奉行所跡
2004年 8月12日(木) (その11)
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佐渡奉行所跡 |
1601年の佐渡金山開山に伴い、相川地区は幕府直轄の天領となった
1603年(慶長8)に佐渡奉行所が建てられた
この復元は、観光用の施設ではなく、史料をもとにした学術的な復元だ
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金精錬場所の再現 |
佐渡奉行所には、行政を行う御役所だけでなく
金や銀を精製する工場(勝場:せりば)や奉行などが住む陣屋(復元されていない)があった
これは、勝場の中の金銀精製の諸設備である
要するに鉱石を粉々に砕いて金銀を含む部分を取り出し、種々の工程を繰り返して精度を上げてゆくのだ
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各種コインの展示 |
各種の史料展示は充実していて判りやすい
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下駄 |
実物の持つ存在感は圧倒的なのだが、
あまりにもきれいに復元され、きれいに展示された史料からは
島送りされた江戸や大坂の無宿人たちの不衛生な上、休みのない長時間の労働といったものの臨場感は感じられない
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奉行所内のお白州 |
奉行所の御役所のたてものは、現在でいうと役所と裁判所を兼ねた役割をもっていた
奉行所の中に2カ所あるお白州のうちの大きい方だ
白州に被疑者を座らせ、御裁許所(おさいきょしょ)から判決を言い渡す
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奉行所跡再建のきっかけとなった鉛板 |
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奉行所跡再建のきっかけとなった鉛板 |
金銀の精錬に使われた鉛板が出土した
こういう具体的な史料が大量に出てきたことが佐渡奉行所の復元への大きな力になったという
金銀と鉛が化学的に結合しやすい性質を利用して金銀の純度を上げてゆく
そういうしっかりとした技術があったのだ
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当時の奉行所の精密な資料 |
1603年に佐渡奉行所が開かれたが、その後焼失・再建を5回繰り返している
1858年(安政5)に5回目の焼失、翌年再建されたものは明治維新により1868年(慶応4)奉行所廃止、佐渡県となる
1929年(昭和4)国指定史跡、1942年(昭和17)焼失となる
今回の復元は1858年(安政5)に5回目の焼失の当時のもの