花追い人のホームページ    タイ写真紀行 −伝統と発展のはざまで−
(2007.4.22 up)

18.世界遺跡アユタヤー(3)

[2006年7月9日(日)](その16)



ワット・プラ・マハータート ワット・プラ・マハータート
ワット・プラ・マハータート ワット・プラ・マハータート

同じアユタヤーの中だが、いったんバスに乗って移動する
バスではわずかな時間だが、歩いたらかなりの距離になるのだろう

ワット・プラ・マハータートには44メートルの仏塔があったと言われるが、
すべてビルマ軍によって破壊された



仏頭(ワット・プラ・マハータート)
仏頭(ワット・プラ・マハータート)

アユタヤーのイメージとなっている仏頭
すっかりガジュマルの根に取り込まれてしまった
破壊されたアユタヤーの数少ない残されたもののひとつだ



警備のひと(ワット・プラ・マハータート)
警備のひと(ワット・プラ・マハータート)

仏頭のすぐ横のあたりに控え場所をもっている警備のひとたち
警備員詰め所というよりはイヌと共に暮らしていて生活感が漂う



ワット・プラ・マハータート
ワット・プラ・マハータート

苔むした煉瓦積みの仏塔が破壊を免れて残されている



破壊された仏像(ワット・プラ・マハータート)
破壊された仏像(ワット・プラ・マハータート)

煉瓦造りの壁だけが残されている
その前には無惨にも首が落とされた仏像がそのまま保存されている
煉瓦の壁の上にカラスのような野鳥が3羽くつろいでいる
ビルマ軍の侵攻は1767年、今から240年も前のことだが
大切な文化遺産を破壊された恨みは深い



破壊された仏像(ワット・プラ・マハータート) 破壊された遺跡(ワット・プラ・マハータート)
破壊された仏像(ワット・プラ・マハータート) 破壊された遺跡(ワット・プラ・マハータート)

夥しい数の首を切られた仏像たち
壁だけ、あるいは、床だけが無惨に残された寺院
激しくも悲しい歴史の現実



破壊された仏像(ワット・プラ・マハータート) 破壊された仏像(ワット・プラ・マハータート)
破壊された仏像(ワット・プラ・マハータート) 破壊された仏像(ワット・プラ・マハータート)

どこまで行っても次から次に現れる首のない仏像
これほどまでに壮絶に保存しているのは仏に対する思いなのか
それとも破壊に対する憎悪なのか



ワット・プラ・マハータート ワット・プラ・マハータート
ワット・プラ・マハータート ワット・プラ・マハータート

それにしても観光客向けの注意書き
首の無い仏像に自分の顔を乗せて写真を撮っては行けないとか
廃墟の壁に登ってはいけないとか
要は宗教的に大切なものへの接し方のお願いであった



ワット・プラ・マハータート ワット・プラ・マハータート
ワット・プラ・マハータート ワット・プラ・マハータート

戦争なのだから人を殺すのはやむを得ないことなのかもしれない
しかし、民族の誇りを破壊した場合は
それは絶対に未来永劫許されないという冷徹な事実である



ワット・プラ・マハータート
ワット・プラ・マハータート

ひたひたと近代化・西洋化が進んでいるタイで
昔からの宗教と文化と民族の誇りが脈々と生きている



破壊された仏像(ワット・プラ・マハータート)
破壊された仏像(ワット・プラ・マハータート)

そういう民族の誇りは近代化・西洋化が進んでゆく中で
風化して沈静化して行くのだろうか
それとも、いくら近代化しても民族の心は脈々と受け継がれてゆくのだろうか



ワット・プラ・マハータート ワット・プラ・マハータート
ワット・プラ・マハータート ワット・プラ・マハータート

この圧倒的な遺跡を歩きながら
近代化の中に生きてきた我らと同郷の同時代の生き方を振り返らざるを得ない
我々が目指してきた近代化・西洋化とは何だったのだろうと
そして、古いもの・非合理的なものとして捨て去っていったものは一体何だったのだろうかと



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