5.水牛車に乗って由布島へ
[2005年 3月 9日(水)](その2)
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休息する水牛 |
由布島(ゆぶじま)
かつて竹富島や黒島から移り住んだ人たちが対岸の西表島で稲作をして暮らしていたそうだ
そのころ農耕用として活躍していたのが水牛だ
水牛は昭和の初め頃に台湾の開拓民と共に石垣島に渡ってきたという
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やはり水の中がくつろげるようだ |
現在、由布島にいる水牛の大五郎一家は30頭余り
もちろん、一頭一頭に名前が付けられている
食事は一日2回、朝と夕方、牧草やサトウキビの葉、穀物など
1年に一頭を出産
水牛車を引くのには2〜3歳から調教をはじめ半年から1年でお客さんを乗せて引けるようになる
寿命は30年、現役で水牛車を引くのは15〜20年くらい
暑い日には一日中池の中にいます
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水牛車に乗って由布島へ |
由布島は西表島の東端にある美原集落の対岸の周囲2.5kmの小島
約400mの浅瀬を水牛車で渡ってゆくのがハイライト
もちろん、干潮時には歩いて渡ることもできる
島の中は、由布島亜熱帯植物楽園として整備されている
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水牛車に乗って由布島へ |
水牛車というのもなかなかのものだが、素晴らしいのは空の広さと亜熱帯特有の水の色だ
浅瀬が水牛車のコースになっているが、同じところに電柱が一列並んでいて由布島へ電力の供給も行っている
この電柱と電線がなかなかの絵になっているのはやはり空の色のためだろうか
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水牛車に乗って由布島へ |
水牛は決して急ぐことはなくのんびり・のんびりと水牛車を引いてゆく
とはいえ、途中の水の上で排泄行為を行うとき以外は止まることなくゆっくりとだが車を引き続ける
こういう、のんびり・ゆっくりが、また旅のよさかも知れない
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御者の三線の演奏 |
三線(さんしん)は、三味線の前身となる楽器である
蛇の皮を使っているが、蛇皮線(じゃびせん)なんて呼ぶことはない
沖縄では、三線は男子の基本的な教養、つまりまともな男はみんな三線を引くことができるという
水牛車の御者席の上からいきなり三線が出てきたときには少し驚いたが、彼はすぐさまそれを弾きだした