冬。落葉・紅葉の植物からのいいぶんは、
11月第3週(11月19日〜11月25日)
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どんな季節にもその季節にしか見られない花が咲き、そういうものを追いかけてゆくのが花追い人の本性である。しかし、11月の半ばころになると季節は眠ったよう、花の種類も少ない。そればかりでなく一日一日の変化も少なくなる。正直なところ花追い人も活動を休止したい衝動にかられることがある。そんな季節だ。
植物は、太陽の光を栄養に変えて生命を維持し、さらに生長を続けるという活動をしている。このため太陽の光が弱くなる冬にはその活動を休止せざるを得ない。しかも多くの花は昆虫による花粉の媒介を前提として咲くのだから、昆虫の活動のなくなる冬は花を咲かせる意味そのものが失われるのである。
冬、光合成を行わなくなった葉は当面不要の長物になるばかりでなく葉からの蒸散作用は活動の乏しくなった根にはむしろ邪魔物ですらある。これを切り捨てれば植物本体にとってメリットがあるのだが、そうすれば春に新しい葉を作るという新たなコストが発生する。この損得関係は微妙である。だから温帯の植物は常緑樹と落葉樹の両方の戦略をとるものに分かれて進化してきたということになる。
なにやらむづかしい話になったが、要するにこれが落葉、つまり、紅葉のメカニズムである。前週は紅葉前線が東京付近までやってきたという話題であったが、もう少し紅葉と落葉について続けてみたい。
ガマズミ(写真1)の実が赤くなるのはもう少し前である。しかし、同じ赤い実をつけていても葉が紅葉してきたり落葉したりでガマズミの表情は大きく変わってくる。葉を落とした赤い実はよく目だち鳥たちの格好の食料となる。鳥に食べられるということは、植物側にとって、鳥により種子を遠くまで運んで貰うことを意味している。なんという巧妙な自然界のしくみ。ガマズミの実は人間が食べても甘くておいしい。
今年は紅葉の名所としてはあまり有名ではないところをひとつ紹介しよう。冨士霊園である。御殿場、いや、正確には御殿場市に隣接した小山町に属している。自動車レースやオートバイのモトクロスで有名な富士スピードウェーに隣接した広大な墓地公園である。春は桜の花見でにぎわうのだが秋の紅葉を愛でに来る人はほとんどいない。少し奥に入ると山はカエデやマメザクラ(地元ではフジザクラという)なのど落葉樹林だ。紅葉は見事なもの(写真−2、3)。見物人はほとんど居ない。つまりこれだけの風景を独占できるということだ。
ちょっと湿っぽいけれど、なんとなく墓地の手当は50歳くらいがちょうどいいんじゃないかと思っていた。その頃ならまだまだ元気で必ずしも現実的な感覚で墓地のことを考えていないだろう、かといって30台、40台では早すぎるという感覚もある。そして、墓地といって現時点で頭に浮かぶのは冨士霊園しかない。ここなら、仮に子どもたちが墓参に来るのでも遊び半分(あるいは遊び全部)でも十分な立地である。
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