花追い人のホームページです。
シーズンズグリーティング
4月第1週(4月1日〜4月7日)
(春本番、ご期待に応えての特別増刊号)

いよいよ4月春本番、鎌倉、そして、都内の春爛漫。

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ベニバナミツマタ(鎌倉 東慶寺)  4月に入ったところだ。とにかく花追い人が一年中でもっとも活動的な時期である。ご要望に応じて先週に引き続いての特別増刊号とします。今回は春爛漫の北鎌倉の花の寺と都心のサクラの名所である新宿御苑、ちょっと落ち着いた向島百花園をご紹介しましょう。


[4月3日]
 サクラの頃の鎌倉が良い。鎌倉には "花の寺" と呼ばれるお寺さんが数多く存在しているけれど、どこもサクラばかりでなくいろいろな花を植え込んでいる。それらがサクラの時期にいっせいに開花するのだ。小さな目立たない花まで入れると相当な種類の花を見られるのがこの時期だ。今日は横須賀線で鎌倉のひとつ手前、北鎌倉で下車してこの周辺を丹念に探索しよう。

 まずは東慶寺。この日の東慶寺で最も人気のあったのがベニバナミツマタ。この花に目を止めて行くのがだいたい半分。その中でミツマタを知っている人が半分。あれ、黄色の花じゃなかったけというのがこの人たち。更にベニバナミツマタも知っているという人は更に半分だった。枝分かれの度に3つに分かれるからミツマタ。樹皮の繊維から和紙の原料が取れる。つまり一万円札の原料と言うことになる。[写真1:ベニマタミツマタ(鎌倉 東慶寺)]
向き合って=ツバキ(鎌倉 浄智寺)
 お隣は浄智寺。中庭にはこの時期、レンギョウ、ユキヤナギの様に遠くからでも目立つ花が咲いているかと思えば、アミガサユリ(バイモ)のような目立たない花が咲いていたりする。目立たない花の極みはカンアオイ。しゃがみ込んで小さな葉を丹念にひっくり返すと黒くて小さな花が現れる。ほとんど蟻が見るだけの花だ。

 これは園芸種のツバキ。ピンクが軽やかだ。たくさんついた花から表情のいい物を選んでフィルムに収める。[写真2:向き合って=ツバキ(鎌倉 浄智寺)]

 浄智寺の名物はタチヒガンザクラだが、さすがにまだ花を付けていない。こういう大物があるのかと思えばところどころにレンゲソウが咲いていたりもする。鎌倉の他の寺ではレンゲソウはちょっと見ないからめずらしい花の一つと言うこととができる。このように大物・小物いづれも分け隔てなく大切にしているところが "花の寺" といわれる所以である。

爛漫=ヒュウガミズキ(鎌倉 明月院)
 踏切を渡って明月院にまわる。ここも鎌倉の "花の寺" として有名なところである。入り口に今まで見なかった三脚禁止の張り紙。今まで何回も訪れ、もちろん三脚を使ってさんざん撮影をした場所である。最近付けた張り紙らしい。この日は平日ともあってかなり空いていたのだが、三脚の使用について特に監視していたようだ。何かトラブルがあったのかしら。
[写真3:爛漫=ヒュウガミズキ(鎌倉 明月院)]

 明月院を出て、建長寺経由で鶴岡八幡宮への方向に向かおうとしてからしばらく考えた。この時期行きたいところはいくらでもある。瑞泉寺方面とか、海蔵寺・英勝寺方面とか、長谷寺方面とか。でも時間と体力を考えて足を北鎌倉方面に戻る方向に向けた。今日は北鎌倉だけにしよう。目的地は圓覚寺。松頼院も三脚禁止だがこちらは最初からだ。スミレ類と小さな野草も丹念に植え込んである。

サクラ巨木(新宿御苑)[4月4日]
 サクラの時期に一度は訪れなければならないのが新宿御苑。サクラの本数が多いだけではなくみんな古木になって花付きの良い樹木に成長している。その上、ヒガンザクラとかシダレザクラとかの種類も多く、多少時期を外しても十分に楽しむことができる。大木戸門を入ったところの大温室とつながった芝生のところ。地面に付きそうなほど低く枝を伸ばしたサクラと地面との不思議な関係がみごとだ。
 薄暗い通路を抜けると西洋庭園のプラタナス並木のところに出る。ここで急に展望が開けてサクラの時期の季節感が一気に展開する。これはプラタナス並木のそばのソメイヨシノの古木。枝が地面につくくらい自由奔放に育った。これに潜り込むようにカメラを構える。[写真4:サクラ巨木(新宿御苑)]

 芝生の広場を通り抜けると日本庭園。池のこちら側にはサクラがほとんど無いのだが、池の周りをゆっくりと回りながらスミレとかの小並んで=ツルニチニチソウさな草花をチェックしてゆく。池を半周回ったあたりで三脚とカメラマンの群に遭遇。見れば池の近くに見事なシダレザクラがあり花の状態、光の状態ともベストであった。シダレザクラを取り囲んでロープが張られ見事に近づけないようにはしている。
 日本庭園をぶらぶらするとこれまでとはひと味違った花を見ることができる。その中で今年良かったのはボケ。深紅の緋ボケと白・ピンクの混じったサラサボケが並んで立っている。これはボケとしてはかなりの大木である。割合立ち止まって見て行く人が多いようだ。そういえば今年はどこへ行ってもボケの花は状態がいいようだ。
 新宿御苑の最後は温室前に植えられているツルニチニチソウである。さわやかな紫色がすがすがしい。[写真5:並んで=ツルニチニチソウ(新宿御苑)]

 新宿御苑での撮影を終えて快い疲労が全身を包む。普通はこのあたりで帰路につくのだがこれだけ春爛漫ではそうは行かない。ちょっとハードスケジュールだが向島百花園に回ることにした。

 日本庭園の作り方として、四阿(あずまや)を作ってフジを絡ませるということはよくある手法である。向島百花園ではいくつかの四阿つくられている。もちろんフジを用いたものもあるが、この他にクズを使ったものやミツバアケビを用いたものもある。それぞれに花が咲いたり実がなったりして季節感を漂わせるというのが日本庭園の基本だ。ミツバアケビはもちろん薄紫の実を鑑賞する為のもの。だが濃い紫色のミツバアケビの花もなかなか良い。

 日本でサクラの花見が大々的に行われたのは江戸時代が最初であるという。幕府が奨励したとあるが、庶民文化が爛熟期にあったという時代背景と無縁ではない。豊島区の染井でソメイヨシノが作出・普及したのもこのころ。このころの花見の名所としては王子の飛鳥山と向島の隅田川岸が最も有名なところになる。そういえば向島百花園は江戸の庶民文化をそのまま残している史跡の代表格でもある。

群落=ヒトリシズカ 今は片栗粉というのはジャガイモからとるが、本来はカタクリの根からとれるでんぷんである。昔はカタクリはありふれた花で今はずっと減ってしまったというのはその通りなのだが、昔と言えどもカタクリから取れる片栗粉がふんだんにあったということではない。煮物にとろみをつけるとか、そういった一般の食料品として利用するなんてとんでもないことで、少量を医薬品にするとか相当高価な物であったらしい。

 ヒトリシズカ。名前の連想としてヒトリシズカとフタリシズカが対になっているのは当然のことである。ヒトリシズカがふたつあるのでフタリシズカというのかと思うとそれは大きな間違いだ。語源になっているのは能楽の二人静のほう。静御前とその幽霊が並んで舞うところからフタリシズカ。これからの連想で花穂が一つしか無いものをヒトリシズカという。名前が有名な割には小さく目立たない花である。[写真6:群落=ヒトリシズカ(向島百花園)]

 オキナグサはもちろん「翁草」のことである。つぼみから花にかけても全体に白い毛がびっしりと生えて、まるで白髪の老人を連想させるからという見方もあるけれど、ほんとうの語源は花が終わって実がなる頃になるとよく分かる。実になった頃の真っ白く長い毛がほんとうに能楽に出てくる「翁」のように見える。


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